昭和47年6月10日 月次祭



 ちょっと前に、本部の、ここの修行生であります、西岡さんから分厚い手紙が来ておる。昼きとったんでしょうけれども、私は、昨日ここへ、お祭り前につかせて頂いてから見せてもらった。
 まぁ時間がないけれども、まぁ楽しみにしておりますから、お祭り前に(?)切って読ませて頂いた。
 もう何時も、幹三郎の事が書いてございますが、今度学院生の入殿があった。もうあちらへ行きまして三週間。初の入殿がございました。もうその中で、もうそれこそ喧々囂々、もう本当に討論というのが、本当に文字通りの討論で、もうそれこそ喧々囂々たる中であったと。
 そういう中に段々、発表が、あの幹三郎の所に、こうマイクが回っていた。そしたら、もうそれこそ、今まで喧々囂々であったのが、こう水を打ったようになった。
 佐藤宿老の一番下のお子さんであるところの、佐藤「ひろとし」先生が、只今の大坪君のお話が、実に爽やかで、清々しくて、素朴で、とまぁ誉め言葉の限りを尽くして評されたという事が書いてございました。
 ね、清々しくて、爽やかだ。あの人が皆さん、ご承知のように、お話が上手という事でも何でもない。けれども、信心とはそこから出発するのだ。と言うことを、佐藤先生が強調されたと。
 (年や?)から言うたら一番若い幹三郎君が、決して自分から先に立ってお話をするというような事はないですけれども、いよいよお話をしなければならない時には、もうそのいう事が、その皆の心に響いて行くというのである。
 読ませて頂いて、本当に有り難いと思うんです。それはやはり幹三郎の内容からにじみ出て来るもんだからだと思うんですね。班人が9名あるそうですが。幹三郎の班だけが、何の抵抗も反発もないという。
 ね、まぁその勿論親の私が安心するように、喜ぶように、まぁ言うてあるといやそれまでですけれども、あの人がそうではなかったろう。あの人が、やはり人の通らんところを通らせて頂いた。いわゆる九死に一生をおえて、おかげを頂いて、一心発起お道の教師に劣り立て頂きたいと願わせて頂くところから、いうならばいよいよ親の信心。いわゆる合楽の信心を身に付けていこうと。
 何時かもここで発表しておりましたように、有り難いという事でも、本当は、実は分からないのだと。分からないけれども、何とはなしに有り難い。それは何故かというと、日々信心修行がです、思わず弛まず出来ておるからなんです。
 ね、いうなれば、和賀心を頂かせていただくための準備運動とでも言うか。その基礎になるところの和賀心学というものが、日々勉強されておるからではないかと私は思います。
 私は和賀心、和賀心ということの為に一つ、和賀心学、もうどういう生き方、どういう角度から見ましてもです、和賀心にならせて頂く為の、いわゆるその基礎になるところのものをです、先ず身に付けなければならない。それには和賀心学が必要だと。
 私が二十何年間、時に説かせて頂いて、お話させて頂いた事は、要するに、とにかく有り難くなりたいと、私は日本一を目指してもらう。有り難い私にならせて頂きたい。いわゆる和賀心の保持者である。ね、という、おかげを頂きたいと、の願いに他ならないのであります。
 ですからね、それに精進しておるところから生まれてくる体験なのですから、もう純粋です。こげなおかげば頂かんならん、あ、というのではないです。ね、ですからそれは、お話は出来ませんから、まぁ素朴な表現になりますけれどもです、ね、あちらへ参りまして何日か目に百人からの人を前にしてお話しさせた時に、一同が感激の渦になったと。
 どんな偉い先生でも、今幹三郎君の後お話はとても出来んと、まぁある講師が言われたというぐらいですから。ね、結局目指しておるところが、正確な間違いのないところを目指して。しかもです、只頭だけの、いわゆる和賀心学ではなくてです、ね、日々の例えば修行の中から、学院での生活の中からそれを、身を持って行じていくところに、まぁいうならば年は若いけれども、皆があれに右へ習えという生き方の方が本当だという風に、段々なって来ておるのではなかろうかと、私は思うです。有り難いと思うて、お礼を申し上げたことでございます。
 ね、親が子の事を、こういう風に言うということは、本当におかしな事ですけれども、親が子の事をそのように言えれるという事は、親も子も幸せだと思うですね。
 もうこれだけは、おかしけん、恥ずかしゅうしてあげな事言われんといったよなのじゃなくてです、ね、本当に有り難い。なるほど神様のお育てを頂かなければ、出来る事ではない、という風に、まぁ思うのです。
 お互いが、例えば新聞の広告なんかを見ますと、内の品物が日本一だといったような、ね、といったような事を、まぁ宣伝しておる商品や商社がありますよね。けれども、自分だけが日本一じゃつまらんですもんね。
 それを、皆がなるほどこれは日本一だと認めなければならん。人が認めて来る。ね、まぁ信心でいうならば神様が認めて下さらなければ出来ん。今朝からの御理解を、まぁ頂きますと。私の知っておる教会の、総代をしておられます。大変熱心に何十年間とお日参りが、まぁ出来ておられる。
 まぁその(かいわい?)の、教学面でも大家と思われるくらいに、色んな勉強をしておられる方と2人でおられます。
 まぁ実に円満、ね。一人の方はもう実に円満なんですし。なかなか皆の、信徒会なら信徒会での評判も非常に良い。当たり障りが良い。だから自分も円満の道を、只一筋に進んでおられるつもりですけれども、私が頂きますと、★丁度半径。丸いとの半分のところをこうなでそでしながら、これを半、丸いんだと思うておると。
 一人の方の場合は、実に几帳面、まぁいうなら。それで、こうここの角んところだけをこうやって、自分の信心が本当だと、正調だという風に言うておられる。思うておられる。けれども半分がないから、結局三角になっておる。
 そこの、もう半分の三角がここにあって初めて四角四面ということになり、もう半分が入って初めて円満ということが言えれるのです。そういう意味の事を今朝の御理解に頂いて、月形半平太という。
 ね、月が、月の、丸い月を半分に切った形。月形半平太といや、皆さんもご承知のように幕末のいわゆるプレイボーイです。ね、なかなかそのあっちこっちに、もう随分もてた、人気が良かった。男前が良い。ね、いわゆる「春雨じゃ濡れて行こう」と、いうその名台詞があるのですよね。月形半平太。
 けれども、その数時間後にはもう殺されなければならないという運命があった。ね、月形が半平、半分だからです。いかにこれが日本一だと、自分で思うておってもです、ね、その半分の物がなかったら。神様に認めてもらえるものがなかったら、おかげになって現れてこない。
 ね、いうなら、おかげも現れましょう、そりゃ。お月様が、半月であれば半月だけの明かりはありましょうけれども、その半分の信心というのはどういう信心から生まれてくるかと。
 そのことを、今朝の御理解に説かせて頂いて、今日は、伊万里の竹内先生が、伊万里のことでわざわざ今度は県会がもたれる。えー、それでそのことのお願いに見えて、今日の御理解を頂いて、その後にお届けをされることです。
 親先生もう大変な御理解を頂きましたと。もうこの精神で、私は今度の、その会議にまいりますというて、帰られましたが。それこそ大変な事なんです。大変な事というのは、大変なおかげが頂けれる、そこに目が開け、そこに心が開けて来るなら、大変なおかげに繋がるということです。ね。
 世の人が神のことを、とやこう口、口に、口の端にかけるのも、ね、神のひれいじゃ、とこう仰る。
 私は今日はそこんところをですね、神のひれいを立てるという事は、そんな事だと思うですね。信心のない者、又は薄い者。信心が薄いと、例えば半分の丸かところだけ、なでさすりしてから、もう自分の信心は円満だと思うておる。なら円満なおかげを受けておるかというと、おかげは受けていない。ね。
 ですから、ここのところをです、どういう信心にならせて頂いたらというのは、金光様のご信心はです、ね、もう他の、何様、いうならば何宗、何派、何様、いうならば何宗、何派ではおかげの受けられないおかげの受けられる道なんだ。
 なら金光様の信心を頂いておるから、そういうおかげが受けられるかという事は言えない。やはり金光大神の教えを、やはり行じて、勿論行かなければならない。その行じていくということは、難しいことではない。その気になれば、誰でもが頂けれるという生き方を、教祖は、詳らかに教えておらえる。
 ね、その過程としてです、例えばね、おかげらしいおかげも感じないけれども、そのことを稽古させて頂いておるという事が、何とはなしに有り難いという、その基礎のところの信心が、幹三郎じゃないけれども、しっかり出来なければならない。
 そこに行のうておることも、又は言うておることもです、ね、周囲に清々しゅう、又は素朴に。爽やかに響いて行くという事になるのだとこう思います。
 神のことをとやこういう。悪口をいう。金光様のご信心を本当に頂きたいと思うたら、信心の薄い者やら、信心のない者では、絶対分からない境地がある。ね、そこを辿らせて頂く時に、誰が何というても、いうならば人からは悪う言われても、又は人からは笑われても、神様から笑われてはならんという生き方が、段々そこに出来てくる。
 そういう生き方を行じて行く、その過程においてです、ね、例えば幹三郎の場合であっても、工業学校の担当の、担任の先生やら、そりゃ友達やらが、もう移り変わりで、ね、復学するように進められました。
 もうどげん言うたっちゃいう事聞かん。もうどうした(具合・・?)じゃろうかと。信心ちゃこげなこっちゃけんいかん。とまぁ決めつけられるほどしに、僕はもうその工業学校の学問はもう、役に立たないんだと。宗教家を目指すのだという事を、をまぁ(みえる?)たんべんにあの人なりに話しをしておりましたらです、ね、それほどしにまで、まぁ深く覚悟しておるのならば、もういうまい、進めまいという事になったんですけれどもです、ねその過程の間ではもう本当に信心ちゃしかも金光様ちゃあげなん信心じゃろうかと、笑われもし、又は悪口をいわれたことであろうと思いますね。
 けれどもそこんところね、貫くというところに、私は貫いたというところに、幹三郎の信心があると思うんです。ね。
 だから、そこを貫かずして、なら先生の顔も立て、こちらの顔も立て、といったようなことでおかげの頂けるはずはない。信心しておっても、例えば月形半平太的な信心ではです、半分のおかげだけしか受けられないと。いうならば、人に、それは本当信心する者ばっかりは分からん。分かるはずがない。
 ね、けれども、そこのところを通らせて頂く、そのことは神のひれいじゃ、と仰るのだから。悪口も、例えば笑われる事も。神様のひれいだから、そのことにお礼を申し上げなければならんことになって来る。
 ね、私は皆さんにね、どうでもそこんところを貫いての信心をして頂きたい。そして、神様が、喜んで下さるというなら、神様が満足してくださるという、今朝の御理解の最後のところにね、勿体無い、勿体無いというけれども、勿体無いという事には、色々ありますね。
 そげんろうきしては勿体無い。そげんつこうちゃ勿体無いという勿体無いと、ね、信心で言う、有り難き勿体無きというのはそんなもんじゃないです。ね、信心も出来ませんのに、各おかげを頂いて勿体無いというのである。
 だから、その勿体無いというところにはもう不平もあってはならない、不満もあってはならない。もう自分自身の心が、喜びに満足しきっておる時じゃなからなければ、勿体無いという言葉は使われないという事である。
 お互いが、有り難うございますはおかげ頂いたたんべんに有り難いでよかけれどもね、勿体無いというのは、自分にはもう不平も無からなければ不足もない。そういう信心が出来た時に、初めて勿体無いという言葉が使えれる。又勿論、勿体無いほどしのです、ね、おかげが頂けていかなければだめだ。
 ね、いわゆる神様が満足して下さる、私共もいう事はない。願うことはないと思うほどしのおかげ、それでも神様は、いやがうえにおかげを下さるという、そういうおかげを頂かなければならん。
 今日午後の奉仕の時に、こういうあるお書物を読ませて頂きよったら、求不得苦【ぐふとくく】と。えーグは求める。フは、この不という字ですね。必要でないという不。トクというのは、得するの得。苦と。求不得苦という。
 これはお釈迦様が、の思索の中から生まれた、素晴らしいこれは、人間の苦しみと言うものを、四苦八苦という風に、八つの苦しみを上げられた。ね、例えば病気の苦しみとか、愛別離苦というて、愛するもとを分からなければ、どうでも分からなければならないという苦しみとか。
 これは当然、どうでもその、受けなければならない苦しみだけれどもです。この求不得苦というものは、私共は、ここから開放されるおかげが受けられる。求不得苦というのはね、求めるものが与えられない苦しみだといわれております。
 ね、求めるものが与えられない苦しみ。ね、主人は家内に求める。家内は主人に求める。子供に求める、親に求める。ね。店員に求める、店主に求める。そして、求めた、求めたものが与えられれば、満足でしょうけれども、求めた通りにならないところに苦しみがあるのです。
 そこでね、私はその、求めるものを捨てた時に、私共は楽ということになるでしょう。求めるものを捨てた時に、私共は楽になるです。ね、家内に求める事を止めた時に、家内がどうであっても、そこに不足も不平もないわけです。
 ね、ならここのところはね、お道の信心に、最近私が言っておる信心で行きますと、これは誰でもみやすう、いわゆるおかげ頂けれれず、ように思うのです。
 求不得苦という苦しみは、ね、私共が求めるものを、捨てて、捨てれば楽なのですから。ね。
 求めるとるからこそ、お参りをしておる。というわけでしょうけれどもですね。なるほどそれが与えられる。おかげを受ける。けれども、その後には理解をして聞かせと仰るように、み教えを頂かせてもらうという事がです、ね、いわゆる求めずして、求めるものを捨てる時に楽になる。その楽な心がおかげをキャッチする。おかげを頂くことが出来るというのである。
 金光教の信心はそこから違う。仏教にはそれから先がない。只求めるものを捨てるというところに到達するだけである。おかげが伴わない。ところが、金光様のご信心は、そうではない。ね、お互いせっかくおかげを頂くのですから、それこそ月形半平太ではない。人から例えば悪口を言われる。人から笑われるようなところを、実をいうたらば、通るところが本当だと。何時までもいわれておってはつまらん。
 そして、なるほど、あれだけ一生懸命金光様、神様といいござったが、なるほどというように、最後に神が顔を洗うてやると仰る、神様が顔を洗うて頂けれるおかげを頂かなければだめです。
 そのおかげを頂かせていただくという事がです、ね、今朝からのご理解を頂きますと、家族勢をそろえなければ何故いけないかと。ね、そして、やはり貫かなければいけない。人がどんなに止めても、どういうてもね、それこそ神様に人から笑われても、悪口を言われても、神様から笑われてはならんという信心。そういう信心の内容をです、いよいよ楽しく有り難くさせて頂くことのために、求不得苦の苦しみから逃れ、修行をさせて頂かなければならない。
 それは、自分が求めるという心を捨てた時に、自分が楽な、いわゆる有り難い心、いわゆる和賀心に通う、信心が出来て行く。ね、そこから生まれてくるところのおかげを頂いて、初めて勿体無いという事になるのじゃないかとこう思う。
 勿体無い。本当に信心も出来んのに、これほどしのおかげを頂いて、有り難いというのではなくて、勿体無いと言えれる信心。勿体無いのま、勿体無いの内容。又勿体無いの前には、不平もなからなければ不足もない。それこそ喜び、満足に満ち溢れておる時。神様にも、いわば満足して頂けれる時。
 そういうおかげを目指すためにはです、金光教の信心は、だから、そこんところをつき、貫かせてもらうというところから、ね、頂けれるもんだという事であります。
 ね、どうぞ、この求不得苦という事を、ね、愛別離苦の苦しみといったようなものやらは、これは当然、誰でも味あわなければならない事だけれども、この四苦八苦の中にあります、求不得苦というのは、金光教の信心では、まぁいうならば、道を行じていくならば、みやすうこの境地は開けて来る。
 そこから求めずして、与えられるものであって、初めて勿体無いということになる。勿体無いの前には、ね、不平も不足もない、日常生活があるだけであります。どうぞ、おかげを頂いて下さい。

梶原 佳行